読みもの
2025.11.01
お寺の豆知識「7日経って?」
お葬儀があるとよく耳にする「初七日」という法要。
最初の一週間だからお参りをするの?と思われる方もおられると思います。
しかし、本来この法要は「初七日」で終わるのではなく、四十九日まで七日七日お勤めをします。この法要を「七日経」と言います。
そして、この七日七日にはそれぞれ意味が込められています。
一・七日(初願忌(しょがんき))
故人様のこれからの七日七日のご供養・修行のご無事を初めて願う法要になります。
二・七日(以芳忌(いほうき))
仏様の一番のお食事はお香の煙になります。仏様、お釈迦さまに近づきお香をお食事とされる香食供養になります。
三・七日(酒水忌(しゃすいき))
無事に三途の川を渡ると言われています。文殊菩薩様に智慧の水を洒いでいただき、身も心も清めて仏様へと進んでいく供養になります。
四・七日(阿経忌(あぎょうき))
普賢菩薩様(心の安定、安らぎを司る菩薩様)に、阿弥陀様と同じように、光の存在となって見守ってほしいと願う行の供養です。
五・七日(小練忌(しょうれんき))
閻魔様による小吟味と言われています。そして、地蔵菩薩様の慈悲にて、苦しみを抜いていただく供養になります。
六・七日(檀弘忌(だんこうき))
弥勒様が来られるまで、残された私たちは追善の布施行(檀波羅蜜)を誓う供養になります。
※檀波羅蜜‥周りの人を大切に、思いやり真理を施す修行。
七・七日(大練忌(だいれんき))
一般的に言われている四十九日の法要。大いなる鍛錬を終えられ、自他ともに身心の安らぎを願う供養になります。主に納骨の時期とされ、お釈迦様、ご先祖様の仲間入りを果たされると言われています。
このように、内容には諸説ありますが、それぞれ意味が込められています。
近年ではご都合により省略される事が多くなりました。しかし、お参りができなくても、七日七日の節目、故人様がご修行されているということを知っていただくだけでも大きなご供養となるのではないでしょうか。
※参考文献「住職として学んでおきたいこと 著者 呉定明」
2025.10.03
戒名って
戒名については、現代でもいくつか意見があります。
最近では、生前の名前(俗名)のまま供養して欲しい、というお話をされることも多くあります。それぞれ思いなどありますが、皆さまも「戒名」とは?と改めて考えられる事もあるのではないでしょうか。今回はそのお話を少しさせていただきます。
仏教の始まったインド、そして中国には日本と同じような「戒名」という制度はなく、日本のような檀家制度もありません。しかし、インドでは、仏様の戒(教え)を受け仏道修行者となった者は「沙門○○」と呼ばれ、悟りを得た後の釈尊は大沙門と呼ばれ、ゴーダマ・シッダルダから「シャカムニブッダ・ゴーダマブッタ」となりました。中国においては、本人の「実名」を呼べるのは、父母国王のみで、お互いは「字名」を呼んでいたそうで、有名な人物では孔子を仲二と呼んでいたそうです。そのようなことから、出家者もそれにならい渾名が道号となり、本名では呼ぶことはなかったのです。
現代の日本でも目上の方を本名で呼ばないという文化はあり、例えば、どこどこの叔父さん、会社では社長、課長など役職名であり、呼ぶとしても名字で呼ぶ程度ではないでしょうか。
本人に置き換えても、年齢に合わせて呼び方は変わっていきます。○○ちゃんから、クンサンづけ、そして名字へと自然と変わっていきます。
このように名前は古来変化するものでありましたが、明治八年に「苗字必称令」で国家管理の都合上、四民等しく苗字を名乗らせると共に、名前を変えてはならなくなりました。
ですので、一つ立場が変わるごとに名前が変わるということはとても重要なことであり、その本人も周囲も「自覚」するという意味合いがありました。
また具体的に戒名とはなにか、それはお釈迦様のお弟子としてのお名前になります。釈尊第○○代目としても「戒名」をお寺の住職として、また僧侶として、一人のお釈迦様の弟子としてお授けさせていただきます。
これらのことから、仏様のお名前として「戒名」を授かるということは故人様もこの世に残る私たちもお釈迦様のお弟子となられたという「自覚」ともに持つためにも「戒名」は大切なのです。
この戒名につけられる文字がそれぞれあります。この選び方についても様々な意見がありますが、私が長通寺住職として大切にしていることがあります。それはこの世に残された皆様が戒名を見た際、生前姿を思い返していただけるような文字を選べられるよう考えています。そうした中で、お葬儀の打ち合わせの際には思い出話を聞かせていただき、そのお話を参考にお人柄、お仕事、ご趣味など様々な思い出からその方だけの「戒名」をお授けさせていただいています。
仏様のお弟子となられたお名前「戒名」ご先祖様の戒名改めてみていただき、ご先祖様への思い、今私たちが生きているという「自覚」を胸にお手を合わせていただけたら幸いです。
参考図書:「津送須知」滴禅会刊
2023.05.08
今というかけがえのない時間
5月8日で新型コロナウイルスの対応が5類の対応になりました。
コロナ禍での生活が続いてきました。「もう何年経ったのか」考えても今が何年目かすっかりわからなくなってしまったように感じています。そうした生活が日常になり、以前のような生活まで戻っていかいない中でも私たちは一年一年、一日一日、時間は過ぎていき、歳を取り、同じままの自分という存在はなく、常に変わっていき、今ここにいる自分は、毎日が新しい自分がいます。
少しずつではありますが、お法事やお葬儀のお参りの方の人数も以前の様に戻ってきています。そうした中で、小さい子どもさんのお参りもあり、読経が始まると「シッ!静かにして!じっと座ってて」という小さな声が聞こえてくることがあります。しかし子ども達はなかなか思う様には言うことを聞いてくれないものです。「まだ終わらないのーあれは何―」なんて声が聞こえてくることもあります。私も子どもがいるので「そうがよなー気を使うし、大変だよな」と思うことがあります。私自身も親戚のお法事やお葬儀へ子どもたちとお参りをすると大変な思いをします。
そんな中、ふと思い出すのが子どもだった頃、祖父母に会うと「大きくなったなー」「すっかり大人になって」と声をかけてもらっていたことを思い出します。その時、きっとご先祖様もそうした気持ちでお参りの場を、この世にいる私たちと共にしているんだろうな、と思うと読経中におしゃべりしたくなったり、お寺の置物が気になったり、じっとしていられない姿も子どもにとっても、大人の私たちにとっても、今しか見てもらえない、かけがえのない姿、かけがえのない時間なんだなと感じました。そう思うと、読経しながらも聞こえてくる子ども達の様子は微笑ましいひと時だなと気づく事ができました。
私たちは、昨日に戻ることも、明日を生きることもできません。騒がしかった子ども達も、大きくなっていくと静かにお参りできるようになっていきます。時間はどんどん過ぎ去っていきます。
これからどう戻って行くのか。そうした中で、時の流れの中にいる自分自身を見つめ、お墓やお仏壇に手を合わせた時「今生きている自分の姿」をご報告していただきたいと思います。そして、良い報告ができるよう「今というかけがえのない時間」を大切に毎日を歩んでいきたいものです。
11月1日 子どもの通う幼稚園の年長さんが、長通寺に遠足で坐禅を体験しに来てくれました。「こんにちはー」みんな元気が良く、こちらも元気をもらいながらの出迎えとなりました。
長男は自分のお寺に遠足で来ると言うこともあり、照れながらもどこか緊張した様子。
町中の幼稚園へ通っているので、他の子ども達は「カエルがいる、カメムシがいる」など珍しいようで、興奮気味でした。
その中始まった坐禅体験。お泊まり保育でも坐禅を体験しているのでみんなが慣れているようで、得意げな表情をしながら「知っとるー」と教えてくれます。
山の中の珍しい環境で興奮していた気持ちも、一転、シーンと気持ちを切り替え坐禅に取り組む姿は大人顔負け。
ふと入り口を見ると、綺麗に揃えられた靴が目に入りました。
「すごいな、しっかりしてるなー」と感心しながらの一時となりました。
坐禅をすると心が落ち着き、調います。はき物を揃えると心が調います。
「はきものをそろえると」 藤本幸邦老師の詩
はきものをそろえると
こころもそろう
こころがそろうと
はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすれば きっと
世界中の人の心もそろうでしょう
2022.02.08
「祖父の思い出」 大本山永平寺 鹿児島出張所 紹隆寺監寺 山縣洋典老師 御寄稿
近年、自分が死んだら葬式をしなくて良いとか、墓は要らないという方が増えているような事を聞きます。本当にそれで良いのでしょうか。これに関し、私の母方の祖父の話を聞いてほしいと思います。
祖父は第二次世界大戦中、広島の呉の海軍基地で戦地に赴く若い方々に船の操縦を教える教官をしていました。しかし終戦末期になり戦局が絶望的な状況になっても出撃し、自分より若い方々の戦死の報告を聞くのに耐えられなくなり、志願して500人乗りの護衛艦の船長として出撃したのです。祖父の船はその後、南の海にて、敵の攻撃を受け沈没の危機となり、497名の部下を逃しました。実はこの時、泳いで逃げる兵士にも、ボートで逃げる兵士にも追撃はなく、大局が決していたことは、誰の目にも明らかだったそうです。しかし祖父は責任者として、副官2名と共に体を船に括り付け一緒に沈みました。
この一連の出来事は、終戦後、その時目撃した船員の方が祖母に伝えてくださり、更に祖母が、祖父の墓前で私にしてくれた話です。その時祖母は続けて、戦中自分の連れ合いが戦死したという報告の紙を受け取っても全く悲しくなかった、何故ならばそれまでも傍にいなかったから聞いても真実味がなかった。だから、葬式も行わなかった、何故ならきっと戦争が終われば、どこからかひょっこり帰還してくるに違いないと思っていたからと言いました。しかし戦争後その部下の方から、この最後の状況を如実に聞き、唯一形見として託された祖父のメガネを手にした時、涙があふれ出して止まらなくなった。そして、そのメガネを骨壷に入れて、葬儀をした時、本当にもう帰って来ないことを正面から受け止めることを通じ、これから前向きに生きていく決意ができたと言いました。
葬儀に伴う一連の仏持は、単に亡くなられた方に対する追善の気持ちを示す儀式ではありません。手を合わす者個々がしっかりと現実を受け入れて、亡くなった方の生前の生き方を自らの人生に照らし合わせ、共にこれからも一緒に歩んでいくお誓いをする大切な時間なのです。
言わば、ご縁の結び直しを通じて、自分の人生をより有意義にできる貴重な体験に他なりません。また、手を合わされる側に自らがなった時、自分と生前ご縁を賜った方々に対して恥じない生き方をする決意の場でもあります。こう考えると、葬儀や供養などの仏持や、こうした気持ちを思い出させてくれる仏壇やお墓などは、決して無駄ではなく大切な事だとご理解していただけると思います。また仏道を行する方々に、この事を常に心に留めおいて精進することをお願いいたします。

