読みもの
2023.05.08
今というかけがえのない時間
5月8日で新型コロナウイルスの対応が5類の対応になりました。
コロナ禍での生活が続いてきました。「もう何年経ったのか」考えても今が何年目かすっかりわからなくなってしまったように感じています。そうした生活が日常になり、以前のような生活まで戻っていかいない中でも私たちは一年一年、一日一日、時間は過ぎていき、歳を取り、同じままの自分という存在はなく、常に変わっていき、今ここにいる自分は、毎日が新しい自分がいます。
少しずつではありますが、お法事やお葬儀のお参りの方の人数も以前の様に戻ってきています。そうした中で、小さい子どもさんのお参りもあり、読経が始まると「シッ!静かにして!じっと座ってて」という小さな声が聞こえてくることがあります。しかし子ども達はなかなか思う様には言うことを聞いてくれないものです。「まだ終わらないのーあれは何―」なんて声が聞こえてくることもあります。私も子どもがいるので「そうがよなー気を使うし、大変だよな」と思うことがあります。私自身も親戚のお法事やお葬儀へ子どもたちとお参りをすると大変な思いをします。
そんな中、ふと思い出すのが子どもだった頃、祖父母に会うと「大きくなったなー」「すっかり大人になって」と声をかけてもらっていたことを思い出します。その時、きっとご先祖様もそうした気持ちでお参りの場を、この世にいる私たちと共にしているんだろうな、と思うと読経中におしゃべりしたくなったり、お寺の置物が気になったり、じっとしていられない姿も子どもにとっても、大人の私たちにとっても、今しか見てもらえない、かけがえのない姿、かけがえのない時間なんだなと感じました。そう思うと、読経しながらも聞こえてくる子ども達の様子は微笑ましいひと時だなと気づく事ができました。
私たちは、昨日に戻ることも、明日を生きることもできません。騒がしかった子ども達も、大きくなっていくと静かにお参りできるようになっていきます。時間はどんどん過ぎ去っていきます。
これからどう戻って行くのか。そうした中で、時の流れの中にいる自分自身を見つめ、お墓やお仏壇に手を合わせた時「今生きている自分の姿」をご報告していただきたいと思います。そして、良い報告ができるよう「今というかけがえのない時間」を大切に毎日を歩んでいきたいものです。
11月1日 子どもの通う幼稚園の年長さんが、長通寺に遠足で坐禅を体験しに来てくれました。「こんにちはー」みんな元気が良く、こちらも元気をもらいながらの出迎えとなりました。
長男は自分のお寺に遠足で来ると言うこともあり、照れながらもどこか緊張した様子。
町中の幼稚園へ通っているので、他の子ども達は「カエルがいる、カメムシがいる」など珍しいようで、興奮気味でした。
その中始まった坐禅体験。お泊まり保育でも坐禅を体験しているのでみんなが慣れているようで、得意げな表情をしながら「知っとるー」と教えてくれます。
山の中の珍しい環境で興奮していた気持ちも、一転、シーンと気持ちを切り替え坐禅に取り組む姿は大人顔負け。
ふと入り口を見ると、綺麗に揃えられた靴が目に入りました。
「すごいな、しっかりしてるなー」と感心しながらの一時となりました。
坐禅をすると心が落ち着き、調います。はき物を揃えると心が調います。
「はきものをそろえると」 藤本幸邦老師の詩
はきものをそろえると
こころもそろう
こころがそろうと
はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすれば きっと
世界中の人の心もそろうでしょう
2022.10.01
お参りしやすいお寺に
今年のお盆前。
お寺の玄関から本堂にかけて「スロープ」が完成しました。
昔ながらの作りのお寺の為、段差が多く、その段差も大きく、お参りいただく方からは
「お参りするのも大変だね」
「車椅子できても手伝ってくれる人がいないと上がれなくて迷惑かけてしまうから、お参りはやめとこうかな」
「足の調子が悪くて今回はお参りできないです」
という声が多くなってきていました。
なんとかできないだろうか。
と考えていたなかで、数年前から案を出していましたが「スロープを作ってほしい」という具体的な要望をいただき「いつまでも先延ばしにしていてはいけないな」ということで、今年のお盆に間に合うように取りかかり、護持会役員の大工さんに依頼、相談をしながら完成することができました。
完成をしたら、さっそく「いいのができてるなー」「助かります」という声をたくさんいただき、多くの方が求めておられたんだなと実感するお盆となりました。
まだこの場所には「手すり」が着いていないので、もうしばらくお待ちください。
お寺の入り口も段差が大きく、今後改善をしていかなければならない場所が多くありますが、
「お寺ってお参りしづらいのが当たり前」から、
「お参りをしやすいお寺」に少しでもしていけるようにしていきたと考えていきますので、ご意見などありましたらお気軽にご連絡ください。
2022.05.01
こいのぼり
新学期が始まる4月。
「こいのぼりいつあげるー」という声を毎日聞くようになりました。
毎日幼稚園へ通う道中のお家にこいのぼりが上がっていると
「なんでうちはまだなの」
「おじいちゃんやおじちゃんに手伝ってもらって上げるんだからね」
「えー今日僕があげる」
「みんなでやらないと、竿は重いからね、待ってね」
と言うやりとりが毎日くり広げられ、説得してもなかなか聞いてくれません。
しかし、そう思うのも無理もありません。今までは子どもたちが幼稚園へ行っている間に、竿上げをし、帰ってきたらこいのぼりが当たり前のように上がっていたので、鯉のぼりを上げることがどれだけ大変なのか知りませんでした。
「簡単にこいのぼりを上げられる」と思っていた長男。
「今年は竿上げの日は幼稚園お休みして手伝ってくれる?」
「うん、手伝う」
それから毎日、竿上げ当日を楽しみにわくわくしていました。
竿上げの朝、楽しみに早起きをし、5、6人の方に手伝っていただき上げるので、人が集まると興奮気味です。
竿を運び、紐を引っ張り、トンカチで金具を打ち、やっと思いで上がった鯉のぼりを嬉しそうに眺めていました。
今までは帰ってきたら上がっていた「こいのぼり」
初めて自分も手伝い大変さを知ったでしょう。
疲れきって眠そうにしている顔を見ていると、多くの人に支えられて生きている、そんなこと実感した一時となったのでしょう。
2022.02.08
「祖父の思い出」 大本山永平寺 鹿児島出張所 紹隆寺監寺 山縣洋典老師 御寄稿
近年、自分が死んだら葬式をしなくて良いとか、墓は要らないという方が増えているような事を聞きます。本当にそれで良いのでしょうか。これに関し、私の母方の祖父の話を聞いてほしいと思います。
祖父は第二次世界大戦中、広島の呉の海軍基地で戦地に赴く若い方々に船の操縦を教える教官をしていました。しかし終戦末期になり戦局が絶望的な状況になっても出撃し、自分より若い方々の戦死の報告を聞くのに耐えられなくなり、志願して500人乗りの護衛艦の船長として出撃したのです。祖父の船はその後、南の海にて、敵の攻撃を受け沈没の危機となり、497名の部下を逃しました。実はこの時、泳いで逃げる兵士にも、ボートで逃げる兵士にも追撃はなく、大局が決していたことは、誰の目にも明らかだったそうです。しかし祖父は責任者として、副官2名と共に体を船に括り付け一緒に沈みました。
この一連の出来事は、終戦後、その時目撃した船員の方が祖母に伝えてくださり、更に祖母が、祖父の墓前で私にしてくれた話です。その時祖母は続けて、戦中自分の連れ合いが戦死したという報告の紙を受け取っても全く悲しくなかった、何故ならばそれまでも傍にいなかったから聞いても真実味がなかった。だから、葬式も行わなかった、何故ならきっと戦争が終われば、どこからかひょっこり帰還してくるに違いないと思っていたからと言いました。しかし戦争後その部下の方から、この最後の状況を如実に聞き、唯一形見として託された祖父のメガネを手にした時、涙があふれ出して止まらなくなった。そして、そのメガネを骨壷に入れて、葬儀をした時、本当にもう帰って来ないことを正面から受け止めることを通じ、これから前向きに生きていく決意ができたと言いました。
葬儀に伴う一連の仏持は、単に亡くなられた方に対する追善の気持ちを示す儀式ではありません。手を合わす者個々がしっかりと現実を受け入れて、亡くなった方の生前の生き方を自らの人生に照らし合わせ、共にこれからも一緒に歩んでいくお誓いをする大切な時間なのです。
言わば、ご縁の結び直しを通じて、自分の人生をより有意義にできる貴重な体験に他なりません。また、手を合わされる側に自らがなった時、自分と生前ご縁を賜った方々に対して恥じない生き方をする決意の場でもあります。こう考えると、葬儀や供養などの仏持や、こうした気持ちを思い出させてくれる仏壇やお墓などは、決して無駄ではなく大切な事だとご理解していただけると思います。また仏道を行する方々に、この事を常に心に留めおいて精進することをお願いいたします。