読みもの
2025.10.03
戒名って
戒名については、現代でもいくつか意見があります。
最近では、生前の名前(俗名)のまま供養して欲しい、というお話をされることも多くあります。それぞれ思いなどありますが、皆さまも「戒名」とは?と改めて考えられる事もあるのではないでしょうか。今回はそのお話を少しさせていただきます。
仏教の始まったインド、そして中国には日本と同じような「戒名」という制度はなく、日本のような檀家制度もありません。しかし、インドでは、仏様の戒(教え)を受け仏道修行者となった者は「沙門○○」と呼ばれ、悟りを得た後の釈尊は大沙門と呼ばれ、ゴーダマ・シッダルダから「シャカムニブッダ・ゴーダマブッタ」となりました。中国においては、本人の「実名」を呼べるのは、父母国王のみで、お互いは「字名」を呼んでいたそうで、有名な人物では孔子を仲二と呼んでいたそうです。そのようなことから、出家者もそれにならい渾名が道号となり、本名では呼ぶことはなかったのです。
現代の日本でも目上の方を本名で呼ばないという文化はあり、例えば、どこどこの叔父さん、会社では社長、課長など役職名であり、呼ぶとしても名字で呼ぶ程度ではないでしょうか。
本人に置き換えても、年齢に合わせて呼び方は変わっていきます。○○ちゃんから、クンサンづけ、そして名字へと自然と変わっていきます。
このように名前は古来変化するものでありましたが、明治八年に「苗字必称令」で国家管理の都合上、四民等しく苗字を名乗らせると共に、名前を変えてはならなくなりました。
ですので、一つ立場が変わるごとに名前が変わるということはとても重要なことであり、その本人も周囲も「自覚」するという意味合いがありました。
また具体的に戒名とはなにか、それはお釈迦様のお弟子としてのお名前になります。釈尊第○○代目としても「戒名」をお寺の住職として、また僧侶として、一人のお釈迦様の弟子としてお授けさせていただきます。
これらのことから、仏様のお名前として「戒名」を授かるということは故人様もこの世に残る私たちもお釈迦様のお弟子となられたという「自覚」ともに持つためにも「戒名」は大切なのです。
この戒名につけられる文字がそれぞれあります。この選び方についても様々な意見がありますが、私が長通寺住職として大切にしていることがあります。それはこの世に残された皆様が戒名を見た際、生前姿を思い返していただけるような文字を選べられるよう考えています。そうした中で、お葬儀の打ち合わせの際には思い出話を聞かせていただき、そのお話を参考にお人柄、お仕事、ご趣味など様々な思い出からその方だけの「戒名」をお授けさせていただいています。
仏様のお弟子となられたお名前「戒名」ご先祖様の戒名改めてみていただき、ご先祖様への思い、今私たちが生きているという「自覚」を胸にお手を合わせていただけたら幸いです。
参考図書:「津送須知」滴禅会刊
2025.09.27
寺嫁日記〜令和7年夏号掲載〜
「親子の挑戦」
毎年6月7月と暑くなるたびにお寺はそわそわし始めます。住職も「今年の夏も暑いかなー、早くお盆の準備に取り掛からないとな」とぼそぼそとつぶやき始めます。私もこの時期になると夏をどうやって乗り越えようか、ということが頭の中をめぐります。
そんなお寺が一番忙しくなるお盆。今年は長男が「傘踊りがしたい」と、とんでもないことを言い始めました。去年の夏、子どもたちにも少しは地元の夏の風物詩を見せてあげたいなと思い、私も住職も最後の体力を振り絞って8月14日しゃんしゃん祭りへ連れて行きました。すると長男の通う小学校の連の息のあった見事な演舞を見ることができました。その様子を見ていた長男は「かっこいいな、やってみたな」と言うようになりました。お寺としては一年で一番忙しい時期。「こまった・・・」しかし長男は「絶対にやりたい!頑張るから!」と譲りません。住職も参加した経験はもちろんないので「大丈夫かな」と子どもの心配はもちろんお寺の心配もし悩んでいました。しかし、子どもの間しかできない経験かもしれません。「このチャンスを逃したら・・・何事もあきらめずに頑張って欲しい。よし。せっかくだからやってみよう」と親子で決断をし、挑戦してみることにしました。子どもの間しかできない経験かもしれませんし、鳥取の文化も体験してほしいという思いでした。
連に入り、練習が始まりました。長男も毎日熱心にタブレットを見ながら練習をしています。全体練習というものもありものすごい熱量。今までしゃんしゃん祭りに行ったこともなく、テレビでしか見る機会のなかった住職は「こんなに練習するんだな」と驚いている様子でした。曲数も一曲ではありません。足の角度、目線の向き、細かい動き一つ一つ覚えていきます。これをあの暑い中、3時間。長男は踊りきれるのだろうか、そして私はついて回れるだろうかという不安に駆られています。そして最大の問題。どうやって当日会場まで連れていくのか。集合時間はまだお寺で法要をお勤めしている時間。「これはまずい、そんなに早く集合するの?どうしよう・・・」そんな時「一緒に行こうよ」と友達の保護者の方に声をかけていただきました。本当にありがたいことです。しかも、真逆の方向から来てくださると。もしかしたら諦めないといけないかなとも考えていましたが、周りに助けられていると実感しました。
このお便りが皆様のもとへ届く頃は、本番へ向けた大詰めの練習の時期だと思います。私も住職もお寺のことでそわそわ、ばたばたしている、お盆のこの時期。お寺にお参りいただいたとき、もしかしたら長男が「しゃんしゃん」と練習をする鈴の音が聞こえているかもしれません。親子の挑戦。この夏も頑張っていきます。
2024.06.06
【全国曹洞宗青年会】災害復興支援活動 中国管区研修会
住職が出向させていただいています「全国曹洞宗青年会」の50周年記念事業としまして、災害復興支援活動 中国管区研修会が6月4日広島県福山市泉龍寺様にて開催されました。
災害時の炊き出し研修、また当日には「特定非営利活動法人災害救援レスキューアシスト」中島武志氏にお越しいただきまして、災害時のボランティアに入る上での心構えなど、現地で感じられて事をご講義いただきました。
私自身は東日本大震災を学生時代に東京で経験し、自信を含めた災害は人事とは思えませんでしたが、今回の能登の災害など実際にボランティアへ入ったことはありませんでした。
それには個人として、ハードルが高いように感じていたり、何か出来ることはないかと考えているだけで、前に進めていなことが多くあったと振り返っていました。
実際に現地へボランティアへ入ろうと思うと、やはりハードルは高いですが、離れていても出来る支援、義援金など、今できることを少しでも行なっていければと感じ、また学ぶことのできる機会となりました。
2024.03.17
佐世保施食法要【YouTube動画】
住職が出向しています、全国曹洞宗青年会。
この度、担当している教化委員会にて、長崎県佐世保市で行われている、お盆の施食法要を撮影させていただきました。
地域に風習によって違いのある施食法要。
佐世保市では太鼓にてお経のリズムをとる、全国でも珍しい法要となっています。ぜひご覧いただき、さまざま地域の法要に触れていただけたらと思います。
2023.05.08
今というかけがえのない時間
5月8日で新型コロナウイルスの対応が5類の対応になりました。
コロナ禍での生活が続いてきました。「もう何年経ったのか」考えても今が何年目かすっかりわからなくなってしまったように感じています。そうした生活が日常になり、以前のような生活まで戻っていかいない中でも私たちは一年一年、一日一日、時間は過ぎていき、歳を取り、同じままの自分という存在はなく、常に変わっていき、今ここにいる自分は、毎日が新しい自分がいます。
少しずつではありますが、お法事やお葬儀のお参りの方の人数も以前の様に戻ってきています。そうした中で、小さい子どもさんのお参りもあり、読経が始まると「シッ!静かにして!じっと座ってて」という小さな声が聞こえてくることがあります。しかし子ども達はなかなか思う様には言うことを聞いてくれないものです。「まだ終わらないのーあれは何―」なんて声が聞こえてくることもあります。私も子どもがいるので「そうがよなー気を使うし、大変だよな」と思うことがあります。私自身も親戚のお法事やお葬儀へ子どもたちとお参りをすると大変な思いをします。
そんな中、ふと思い出すのが子どもだった頃、祖父母に会うと「大きくなったなー」「すっかり大人になって」と声をかけてもらっていたことを思い出します。その時、きっとご先祖様もそうした気持ちでお参りの場を、この世にいる私たちと共にしているんだろうな、と思うと読経中におしゃべりしたくなったり、お寺の置物が気になったり、じっとしていられない姿も子どもにとっても、大人の私たちにとっても、今しか見てもらえない、かけがえのない姿、かけがえのない時間なんだなと感じました。そう思うと、読経しながらも聞こえてくる子ども達の様子は微笑ましいひと時だなと気づく事ができました。
私たちは、昨日に戻ることも、明日を生きることもできません。騒がしかった子ども達も、大きくなっていくと静かにお参りできるようになっていきます。時間はどんどん過ぎ去っていきます。
これからどう戻って行くのか。そうした中で、時の流れの中にいる自分自身を見つめ、お墓やお仏壇に手を合わせた時「今生きている自分の姿」をご報告していただきたいと思います。そして、良い報告ができるよう「今というかけがえのない時間」を大切に毎日を歩んでいきたいものです。