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2026.01.30

新年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。皆様の2025年はいかがでしたでしょうか。
振り返るという行為は、過ぎ去ってしまってから出ないとできないこと、過ぎ去ったからこそ一歩引いて振り返ることができるのではないでしょうか。
昨年、戦後80年談話を鳥取県初の石破茂前内閣総理大臣が発表されました。
その中で特に印象的であった言葉が「寛容」という言葉です。
寛容とは、広い心を持ち他を受け入れるさま、と辞書にはあります。
私たちがテレビを見ていると、世界各地の情報から日本国内の出来事、良いこともあれば悪いこともある。そこには様々な意見があり、それぞれの考えを主張し、これが正しい、これは正しくない、自分と違う意見は間違っていることだ、その意見は受け入れなくて良い、というような雰囲気が広がっているように感じます。
その顕著な例が世界を見渡すと戦争、紛争、軍事侵攻といったテレビでも良く目にするワード、もっと身近な場所では「炎上」という言葉でS N Sやある人の発言一つを取り上げ、多くの人が「それは間違いだ」「全て悪だ」というように攻撃をする場面を見ます。もちろん不適切な発言、行動であり問題である場合もあります。しかし全てがそうでしょうか。何気ない一言、発言の一部分を切り取って解釈をする、味方を変えれば悪いことではない、自分の考えとは反対の事を言っている、ふと考えると納得もできること、ありませんか?
それぞれの「正しい」という思いの「対立」から「分断」が生まれ「争い」となる。
世界でも身近でも起こりうる事だと思います。
石破前総理の「寛容」は過去を見つめ、他者を理解し、平和な未来を維持していくための私たちの態度、生き方のようにも私は考えました。
今生きている私たちは「寛容」な心を持って生きていることができているだろうか。同じ考えの人ばかりではないこの世の中、この世界。敵を作ることで自分だけの安心感を作り他を攻撃していく雰囲気を感じる今のこの世界。
広い心を持ち他者を受け入れる、そんな心を今こそ持つべきではないだろうか、そのように感じた昨年でした。
この1年をどのように生きていこうか。皆様それぞれが考えられることと思います。
一人一人がこの1年の歩みの中に「寛容」な心を少しでも持ち歩んでいけるそんな2026年となることを願いあいさつに変えさせていただきます。

長通寺 住職 磯江 紹元 合掌