読みもの
2026.10.19
「届く光、つながる命」
今年も暑い日が続きこのお便りが皆様のもとへ届く頃には夏本番となっているのではないでしょうか。
夏の昼間の強い日差しとは対照的に、夜の涼しい風や星空に心が和らぐことがあります。先日、夜空を見上げながら、ふと坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」という歌を思い出しました。
見上げてごらん 夜の星を
小さな星の 小さな光が
ささやかな幸せを うたってる
多くの方が一度は耳にしたことのある歌ではないでしょうか。
夜空に輝く星の光は、実は今そこで生まれたものではありません。何年も、何十年も、時には何百年も前に放たれた光が長い旅を続け、ようやく私たちのもとへ届いています。私たちは、遠い過去から届けられた光を見ているのです。
そう考えると、私たちの命もまた似ているように思います。
私たちは自分一人の力で生きているようでいて、決してそうではありません。両親や祖父母、そのまた先のご先祖さまから命を受け継ぎ、多くの人との出会いや支えの中で今日を迎えています。今ここにいる自分は、数え切れないほどの命のつながりの先に存在しています。
まもなくお盆を迎えます。お盆は、ご先祖さまをお迎えし、亡き方々を偲ぶ大切な季節です。お墓参りをしたり、お仏壇に手を合わせたりする中で、あらためて命のつながりに思いを巡らせる方も多いことでしょう。
曹洞宗には「行持報恩」という言葉があります。「行持」とは日々の実践を続けること、「報恩」とは受けた恩に報いることを意味します。
恩に報いるというと、何か特別なことをしなければならないように感じるかもしれません。しかし、そうではありません。いただいた命を大切に生きること、家族や周りの人を思いやること、自分に与えられた役割を誠実に果たすこと。その一つひとつが、受けた恩に報いる行いなのです。
ご先祖さまへの供養も、単に過去を振り返るためだけのものではありません。今ここに生かされている自分を見つめ直し、これからの生き方を確かめる機会でもあります。私たちが今日を大切に生きることこそが、受け継いできた命への感謝の表れなのかもしれません。
夜空を見上げると、たくさんの星がそれぞれの場所で光っています。一つひとつは小さな光ですが、集まることで美しい星空をつくり出しています。私たちもまた、多くの命やご縁の中で支え合いながら生きています。
今年のお盆、どうぞ皆様もそれぞれの場所で夜空を見上げてみてください。遠い昔から届く星の光が、受け継がれてきた命の尊さや、今ここに生かされているありがたさを静かに教えてくれるかもしれません。そんなひとときが、ご先祖さまへの感謝と、自らの歩みを見つめ直す機会となれば幸いです。
2026.02.07
星が綺麗な「星取県」の岡益
「星キレーねー」と三男が。子ども達も大荷物と三男を抱っこして必死に玄関まで歩いていると夜空を指して言います。岡益の冬は18時でも、もう真っ暗です。一緒に見上げてみると、夜空一面に広がるとても綺麗な星空。
力の限り、子ども達を家の中へ連れていくことに必死で地面しか見ていなかった私には癒しの夜空に見えました。すると「本当だ!あ!オリオン座だ!」と長男、二男も続きます。
そんな星空に改めて気づくきっかけとなったのは、子どもたちが欲しいと言った星座図鑑からでした。付録でついているD V Dを一緒に見ていると「小学校の頃勉強したなー」と懐かしい気持ちになり「どれがオリオン座だったかな、冬の大三角はどんなのだったかな」と思い星空の綺麗な日には親子で空を見上げるようになり、子ども達と星座の神話を読む事も、とても楽しくなりました。
私自身も、子どもの頃夜空を見上げることが好きでした。街の明かりの少ない場所では星空がたくさんみることができ、嬉しかった事を今でも覚えています。
そんな昔を振り返り、どんな場所で星が綺麗に見えるのだろうか、調べてみると空気が澄んでいて光害が少ない場所で綺麗に見えるそうです。光害とは夜の明かり、特に人工の光、街灯、商業施設の明かりなどによって夜でも明るくなり星空が見えない事を光害と言うそうです。
大人になってからは、夜でも明るい場所で過ごすことが多くなり、ふと夜空を見上げることも少なくなっていました。
そうした中で気づいたのどかで光害の少ない岡益の美しい星空。
ふと見上げた時には「懐かしいなー」なんだか子どもの頃を思い出すように、ホッと落ち着く気持ちになれる夜空。そんな夜空が残っている場所というのは嬉しいな、子ども達が大人になっても同じような夜空、風景が残り続けて欲しいなと思います。
空は地球どこにも同じ空が広がっていますが、その地域の明かりや空気によって見える世界が変わってしまいます。工業地帯の夜の景色も、100万ドルの夜景と言われる景色も、オーロラの見える景色もどれも素敵だと思います。
鳥取県は「星取県」とも平井知事が命名されました。星に手が届きそうなくらい綺麗な鳥取県の星空、いつまでも残っていてほしいな、そんな願いを込めながらの寺嫁日記執筆になりました。
長通寺 寺族 磯江真美(なおみ)合掌
2026.01.30
新年あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとうございます。皆様の2025年はいかがでしたでしょうか。
振り返るという行為は、過ぎ去ってしまってから出ないとできないこと、過ぎ去ったからこそ一歩引いて振り返ることができるのではないでしょうか。
昨年、戦後80年談話を鳥取県初の石破茂前内閣総理大臣が発表されました。
その中で特に印象的であった言葉が「寛容」という言葉です。
寛容とは、広い心を持ち他を受け入れるさま、と辞書にはあります。
私たちがテレビを見ていると、世界各地の情報から日本国内の出来事、良いこともあれば悪いこともある。そこには様々な意見があり、それぞれの考えを主張し、これが正しい、これは正しくない、自分と違う意見は間違っていることだ、その意見は受け入れなくて良い、というような雰囲気が広がっているように感じます。
その顕著な例が世界を見渡すと戦争、紛争、軍事侵攻といったテレビでも良く目にするワード、もっと身近な場所では「炎上」という言葉でS N Sやある人の発言一つを取り上げ、多くの人が「それは間違いだ」「全て悪だ」というように攻撃をする場面を見ます。もちろん不適切な発言、行動であり問題である場合もあります。しかし全てがそうでしょうか。何気ない一言、発言の一部分を切り取って解釈をする、味方を変えれば悪いことではない、自分の考えとは反対の事を言っている、ふと考えると納得もできること、ありませんか?
それぞれの「正しい」という思いの「対立」から「分断」が生まれ「争い」となる。
世界でも身近でも起こりうる事だと思います。
石破前総理の「寛容」は過去を見つめ、他者を理解し、平和な未来を維持していくための私たちの態度、生き方のようにも私は考えました。
今生きている私たちは「寛容」な心を持って生きていることができているだろうか。同じ考えの人ばかりではないこの世の中、この世界。敵を作ることで自分だけの安心感を作り他を攻撃していく雰囲気を感じる今のこの世界。
広い心を持ち他者を受け入れる、そんな心を今こそ持つべきではないだろうか、そのように感じた昨年でした。
この1年をどのように生きていこうか。皆様それぞれが考えられることと思います。
一人一人がこの1年の歩みの中に「寛容」な心を少しでも持ち歩んでいけるそんな2026年となることを願いあいさつに変えさせていただきます。
長通寺 住職 磯江 紹元 合掌
2025.12.16
禅喫茶「RYUREI」 福島開催
住職が出向しています、全国曹洞宗青年会の企画として禅喫茶「RYUREI」という坐禅✖️喫茶のイベントを福島市にて開催させていただきました。
この企画は、お寺に行くにはハードルが高いと感じられる方も多いと感じ、お坊さん、禅の教えを身近に感じていただきたいという思いから、僧侶自らがお寺から飛び出し、おしゃれなカフェや飲食店などで開催させていただいています。
今回は福島市の「cafe nei」さんでの開催でした。
お店がとても雰囲気が良いのはもちろんのこと、お店をされているご夫婦の人柄や雰囲気から落ち着きと癒しを感じるとても素敵なお店でした。
イベントでは、坐禅から入り、終わった後はneiさんのレモンパイと、この日点前担当であった私が点てたお抹茶を召し上がっていただきながら質問やお坊さんに聞いて見たいことなど、、、
和やかな雰囲気のなか時間が流れていきました。
お坊さんって堅苦しい、怖い、といったイメージを持たれる方も多いかもしれません。
そういったイメージではなく、身近なんでも話せるお坊さん、そんな住職、僧侶を目指していきたいと感じたイベントでした。
いつかは鳥取でも開催できたらな
と考えています。
2025.12.01
思い出話
2025年の年末。
過去を振り返ります。
2023年8月、先代住職の妻磯江靜子が他界しました。岡益の地に生まれ、育ち多くの方とのご縁をいただいた人生だったのではないかと感じています。長通寺檀信徒の皆様だけでなく、祖母とのご縁のあった多くの皆様に厚くお礼を申し上げます。
気づけば一年は早いもので、今年3回忌を終えました。お葬儀の時の出来事を思い出すと、慌ただしく、また大雨警報のアラームが鳴るなかでのお通夜、お盆明けの告別式と、式を執り行うことで精一杯だった記憶ばかりです。
これは、祖母のお葬儀だけではなく、皆様が同じような思いなのではないだろうかと感じていました。故人様とのお別れの大切なひと時、生前の姿をゆっくりと振り返る時間、有るようで無いような時間。
そう感じている中でお葬儀での打ち合わせの時間に必ず「思い出話」を聞かせていただく時間を設けるようにしています。
お戒名を付けさせていただく際「戒名はなくても良い」というようなご意見をいただくことありますが「戒名」はもちろん仏様のお弟子様となられるためのお名前でもあります。それと同時にこの世に残させた私たちが生前の故人様を「思い起こしていただくお名前」「生前の姿を表す」のが戒名ではないかと考えています。私の考え、思い出ではありますが。
そうした中で、大切になって来るのが、この世にいる私たちの「思い出話」です。
「故人様はどのような人柄でした?ご趣味は?」など聞かせていただきますが、じっくりと振り返る時間は有りそうで、無いものです。
「どーだったかなー」「何が好きだったかなー」それぞれじっくりお話を聞かせていただくと「そーいえば」というように思い出話をお話いただけます。
そしてそのお話を参考に「故人様にピッタリなお戒名」を考えさせていただくようにしています。
「改めて振り返ると色々有るなー」「こんなところもあったな」「えーそうっだたかな」
など話は膨らみ「お葬式で忙しいときに、いい時間いただきました」と言っていただくことも多く有ります。お葬儀の打合せ、ただ日程や流れを決めるだけの形式的な時間だけでなく、慌ただしいなかに少し「ほっと」し、思いを出す時間になっていただけると幸いです。
私自身が身をもって感じた「故人様を振り返る思い出話」ご供養は亡き人にするものだけでなく、生きている私たちの為にもご供養は有るのではないでしょうか。
手を合わせたその先に、故人様、ご先祖さまのお姿を見ていただき、私たち自身、自分自身の命、歩みを見つめていきたいものです。
長通寺住職 磯江 紹元 合掌




